氷河特急に乗って爆睡した日の記憶

【註】いつもなら「氷河急行」と書くところですが、今回は特別な思いもあって「氷河特急」と表記することにします。

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          『氷河特急に乗って爆睡した日の記憶』

私の脳内電気の流れがまだ完全に日本式であった頃、日本の田舎から姉が訪ねて来てくれた。二人でスイス国内の旅に出ることになったのだが、当時の私はまだスイスという国に疎くて姉のガイド役になれる自信がなかった。

そこで夫が、或る旅行社が売りに出していた「バスと氷河特急で行く3日間のスイス周遊の旅」に申し込んでくれた。姉と私以外のツアー参加者は皆スイス人である。

サン・モリッツの5つ星ホテル(団体旅行の長所の一つは高級ホテルに格安で宿泊できること)に1泊した翌日、我々はこのツアーの目玉である氷河特急に乗ってツェルマットに向かった。7時間あまりにも及ぶ列車の旅である。

日本からの旅の疲れもあったのか、姉はサン・モリッツを出発して1時間もしないうちに、ウトウト居眠りを始めた。

「ちょっとぉ、誰も寝てへんで。せっかく来たのに、もったいない」
無情にも私は姉にイエローカードを掲げてしまったのである。

今でこそ日本からのツアー客も、コーチバスや氷河特急の中で居眠りする人は少なくなってきた。デジカメの普及が、日本人の居眠りシンドロームにストップをかけてくれているのではないかと思う。旅に出るたびに私は、車窓から被写体を追っかけている日本のグループの人たちをよくみかける。

だがスマホやデジカメなど皆無の時代に、ツアーで来て乗り物で移動するときの日本人は、その殆どが座席にもたれて居眠りを貪っていた。かく言う私も例外ではなかったのだ。

姉に忠告しておきながら恥ずかしいことに、私も段々マブタが重くなってきた。周りを見回しても、居眠りしているスイス人など誰もいない。皆、目を輝かせ身を乗り出して移り変わる風景を愉しんでいる。

参ったなぁ、と周囲に気を遣いながらも、日本人に特有な居眠りシンドロームに打ち勝つことが出来ないところまできてしまった。

「ちょっと向こうに行ってくる」
眠そうな姉にただそう言い残して、空席の目立つ一つ後ろの車両に移って行った。そうしないとバツが悪いではないか(苦笑)。

だが、その後のことは何ひとつ覚えていないのだ。もうほとんど爆睡モードだったのではないかと想像する。;;;^^;;;


《ここはどこだ?》
すっかり寝ぼけてしまって目を覚ました瞬間には、自分が何をしているのか、どこにいるのかさえよく分からなかった。

窓を開いてみた。
目眩がするほど気持ちの良い風が流れ込んできた。
風に色をつけるなら、まさに緑。緑色の風だ。

列車は深い森の中に停車していた(と、脳の記憶帳にはそう書かれてある)。
車掌がズボンのポケットに手を突っ込んで屋根のないホームに突っ立っていた。

やっと目が覚めて、少しずつ状況が掴めるようになってきた。
我々を乗せた氷河特急は、オーバーアルプ峠で対向列車待ちをしていたのだ。

恥を忍んで言わせてもらうと、またそこからの記憶が見事なほどプッツリと切れている。

姉のいる車両に戻って行ったはずなのだが、覚えていない。終点のツェルマットに到着した後のことはよく覚えているにもかかわらず‥‥。オーバーアルプ峠を出発するや、また眠ってしまったのだろうか?

人の記憶というものは本当にあてにならない。
目に映った情報は脳の中で断片になって一旦、忘却の中に沈み込む。そこから改めて芽を出す記憶というものは、実際とはかけ離れていることが多いらしい。

オーバーアルプ峠駅は2000m余りの高所にある。目覚めた瞬間に私が見たらしい深い森など存在するわけがないのだ(笑)。

多分、極楽から送られてきたエメラルドグリーンの風が、深い森にすり変えて私に記憶させたに違いない。

それにしても、7時間もの氷河特急の旅の中で、ハッキリ記憶に残っているのがオーバーアルプ峠の駅の名前だけとはあまりにも寂し過ぎる。(^^;;; 

一人旅に魅せられるようになってからは、毎年のようにここにやってきて、その貧弱な記憶から温かい芽がでるようにと、一所懸命育てている。(^_-)-☆

最後に一つだけ書いておきたいことが。
このオーバーアルプ峠は、峠越えなどのツーリングをする人にとっては休憩地として有名な場所だが、しかし、風光明媚な名所の多いスイスからすると、とりたてて人にお勧めするほどの眺めはここにはない。

この峠を拠点にするならライン川の源流Toma湖を訪ねるハイキングというメニューもあるが、長くなるので今日はそれには触れない。

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【後記】サッカーを連チャンで観たせいか、脳みそがかなりふやけてしまった。
ふやけた後に今日の記事を書き始めたので、乱文や珍文、奇文が多々あると思う。
ご容赦ください。


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(今日アップした写真は2018年6月20日に撮影)


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2018-06-25 09:38 : 【エッセイ/二つの国の狭間で】 :

病的に気の弱い猫との 掛けがえのない暮らしの記録 

(アイマスクをしてタヌキ寝入りを決め込む、よそんちの猫↓ 隣り村にて撮影)

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今日の記事は、昔ペット族に人気のあった『犬ばか・猫ばか・ペットばか』(「週刊朝日」)に掲載された私のエッセイに、手を加えてリニューアルしたものです。ついでにタイトルも変えました。

古いですが、しかし普遍的なテーマを扱ったつもりなので賞味期限はありません。(^^;

再スタートしたこのブログにも、これを収録しておきたいと思います。


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             『わが家の猫は名セラピスト』

たまらなく猫と暮らしたくなった。
だが、ノラのいないこの辺りでは仔猫を見つけるのも簡単ではない。

さーて、どうするかな?

思案しているところへ、まだ里親の決まらない5カ月のシャム猫がいるという情報が飛び込んできた。

「血統書つきですが、かわいがってもらえれば、ただで差し上げます」

こんなうまい話はない。私は即座に飛びついた。

「でも、風邪を引いてしまって‥‥」とのことで、うちに来るのは少し先になりそうだ。

それでも私はウキウキしながら、猫を迎える部屋の準備を愉しんだ。

ベッドにハウスに遊び台。それから縄をかけた爪とぎポール。みんな夫の手作りだ。


ついにその日がやって来た。

やっとスイスでも猫との愉しい暮らしが始まるぞ!
‥‥と思いきや、とんでもない。「忍耐」の上に「忍耐」を積み上げていくような日々の始まりだったのである。

異常なほど臆病なのだ。

猫の部屋のドアにほんの少し触れただけで、あっという間に家具と床の隙間にもぐり込んで出てこない。
覗くと怯えた目をして震えている。

「だーいじょうぶ大丈夫」と言い聞かせながら、隙間に腕を突っ込んで撫でてやること三日間。

少しは信頼してもらえたかな? 

四日目には引っ張り出して膝の上に乗せてみた。
とたんに腰を抜かしてフニャフニャになってしまった。


「この哀れな猫に幸いあれ」
そんな願いをこめて「幸」と名付け、サッちゃんと呼ぶことにした。
そして私はこの猫のセラピストになる覚悟をきめたのだった。

どうやらサッちゃんの目には、人間が獰猛な怪獣に見えるらしい。
だから撫でてやるにしても、咄嗟に腕を突き出すのは禁物。腰を落としてできるだけ低い位置から甘い声をかけながら、スローモーションで腕を伸ばすのがポイント。

とは言え、どうしても強引な態度に出なければいけないときがある。
その一つが年に一度の予防注射だ。

天地がひっくり返るほどの恐怖に襲われるサッちゃんは、キャリーボックスの奥で逆立ちして「終末のポーズ」で構える。つまり、頭を左角の床面に、後ろ足は右角の天井面にペタッと貼り付けるのだ。

だがそれも、診察台に上げられ先生とナースに包囲されるやいなや、「もはや、これまで」と観念するのか、腰を抜かしてフニャフニャになる。


腰を抜かすと言えば、サッちゃんが1歳の頃、こんな騒動があった。

夫に腹をたててギャーギャーわめき散らす私に、彼は人差し指を自分の唇に置いて、顎と目線で私の後方をさし示した。

振り向くと、私のデカい声に仰天したのか腰を抜かしてしまったサッちゃんが、焦点の合わなくなった目を宙に浮かせてシャーシャーおもらしをしている最中だった。

その日を境に、わが家からは私のわめき声が消えた。
懲りてしまった私は、ナイショ話でもするようにヒソヒソと夫に文句を言うようになったのである。


そんな私の努力が実ったのか、少なくとも我々夫婦の前ではサッちゃんも腰を抜かすようなことはなくなった。

それどころか、こわ色をつかって甘えてきたり、すねてみせたり、おねだりしたりと、見違えるほど豊かな表情をみせてくれるようになった。

ある日、私はヒソヒソ声で夫に言ってやった。

「ねっねっ、どんなもん!? 私のセラピーも、まんざら捨てたもんじゃないでしょ? エヘッ」

夫はそんな私を無視して、膝の上でウトウトしているサッちゃんに、そっとささやきかけた。

「サッちゃん、君こそ名セラピストだよ。えらいえらい。
おばちゃんの頑固なヒステリー、治しちゃったんだもんねぇ」

んっ?

まごつく私に、夫はウインクを送ってきた。

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2018-05-17 06:40 : 【エッセイ/二つの国の狭間で】 :

スリの手口は今も昔も同じ? in ロンドン

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(2018年5月1日私の村にて撮影)

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金曜日の朝、買い物に行く途中のバスの中で顔見知りのスイス人と一緒になった。
彼女は友人が住んでいるロンドンで休暇を過ごしてきたばかりだという。どうやらそのときにスリに遭ったらしい。

一人の若い男が地図をみせて場所を尋ねてきたというので、私は思わず口を挟んでしまった。

「えっ、今でも同じ手口で?」

1981年という遠い昔の話しになるが、実は私もロンドンでスリにやられた経験があるのだ。

あれは英王室の挙式日(チャールズ皇太子とスペンサー伯の3女、今は亡きダイアナ嬢の結婚式)の数日前のことだった。私はスーツケースを引っ張って、一人で地下鉄に乗り込んだ。

車内はかなり空いていたのだが、なぜか座るのが面倒くさくて後ろの方で突っ立っていた。
「私、カモなの」と言わんばかりにボケッとした顔をしていたに違いない。

次の駅で乗り込んで来た一人の若い黒人男性が速足で私に近づいてきて地図を広げた。

「教えてください! ピッカデッリィ(ピカデリー)はどこですか?」 と訊いてきたので、「あっ、ピカデリーなら知ってるわよ」と言いながらその地図を覗き込んだ。

な・なに、これ! なんでこんなに複雑なの?! 
心の中で地図に悪態をつきながら、それでも必死の犬かきで目を泳がせた。

こういう場面での時間の記憶というものはあまり当てにならないのだが、地下鉄の扉が開いている時間内でスリ集団が「お仕事」を片付けてしまったのだから、1分かそこらの間の出来事だったのではないだろうか。

その黒人は扉が閉まる寸前に、ぐしゃっと地図を丸めるやいなや、ヒョウのごとく飛び出して行った。

茫然自失モードで見送る私の目にうつったのは、ホームを飛ぶように駈け抜けて行く4匹の黒ヒョウだった。 

やられたぁ! 

そう思った瞬間、脚に猛烈な震えがきて、次の一歩が踏み出せなくなった。


体の中の内臓物がまた元の位置まで戻るのに、2分か3分くらいはかかっただろうか。
頭にも血が流れ始めたので、少し気を鎮めて考えてみた。

多分、座席に座っていた数人の乗客からは見えないようにするために、仲間の2人が乗客のふりをして私の前にカーテン立ちしていたんじゃないか? 

で、一人が地図を広げる。そしてその隙に、もう一人が私の斜め掛けバッグから財布を抜き出す‥‥。

サイケデリックな地図に全神経を注ぎ込んでいた私は、「ホラ、持ってけ!」 とばかりに、斜め掛けバックが背中の方でネギしょい状態になっているのに、まったく気が付かなかったのだ。

だけどシミジミ思ったものだ。
バッグごと持って行かれたわけではないことと、体に危害を加えられずに済んだことは、何よりも不幸中の大きな幸いだったと。

私は気をとりなおして次(いや、その次だったか、或いは次の次だったか)の駅で下車し、駅員室に駆け込んだ。

残念ながらそれがどこの駅だったのか、どうしても思い出せない。
けれど、そこで対応してくれた50代くらいの女性駅員の親切だけは、今でも決して忘れることができない。

私が興奮状態で出来事の一部始終を話し終えると、傍らに立って聞いてくれていた彼女が「Oh、それはないよ。こわかったでしょ?」と言って私を引き寄せ、優しく抱きしめてくれたのだ。

その瞬間、張りつめていた神経が一気に緩んでしまったのだろう。
私は溢れ出る涙を止めることができなかった。


ありがとう、あの時の駅員さん!

あの忌々しい出来事も、彼女のおかげで温かい思い出として心に残っている。





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           (2014年7月3日GR州で撮影)

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2018-05-13 00:15 : 【エッセイ/二つの国の狭間で】 :

(下)とうとう私は、耐え忍んで夫の帰りを待つ「喋々夫人」にされてしまった

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(撮影2016年5月6日 近所の村にて)

今日の記事は昨日の⇒「上」の続きです。)
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ハンスの経営する小さな印刷会社が不況の煽りを食らって、彼は崖っぷちに立たされたらしい。
中世から続いてきた由緒ある看板だ。彼としては、なんとしても残したい。
人員を整理し、その分、彼が早朝から夜遅くまで身を粉にして働き詰めたという。

見かねた妻は、看板に見切りをつけるべきだと言い張った。
だがこのような困難な状況に立たされると、一徹になって働くのがこの国の男たちだ。

ハンスの場合はそれが実を結び、何とか看板を外さずにすむところまで漕ぎ着けた。
ところが、ふと手元を見ると彼自慢の「手綱」がプッツリ切れていた‥‥。 

‥‥と、まっ、夫が仲間から聞いてきた話しをまとめると、こういうことになるらしい。


そんな折りも折り、うちの連れ合いの仕事先でパーティが開催された。
社内では働き蜂として有名な夫は、ほんのり酔いの3人の女性に取り囲まれて質問攻めにあったらしい。

「一度お尋ねしたいと思っていたんです。
よく遅くまで仕事をしていますが、奥さんは何も言わないんですか?」

「私だったら、もう離婚だわ」

「私も」

咄嗟のことで言葉に窮した夫は、こう切り返したという。

「いいかい君たち、私の妻は日本人なんだよ」

その瞬間、3人の目がいっせいに輝き、こう言い放ったらしい。

「これでやっと謎が解けました。奥様は 『蝶々夫人』 だったんですね!」


とうとう私は、旦那さまの帰りをひたすら耐え忍んで待ちわびる、今どきの日本でもほぼ絶滅したであろう化石のような妻にされてしまった。

おじょう様がた、そりゃチト話しが違いますぜ!と啖呵を切りたいところだが、しかし待て! 

今さら彼女たちに「亭主元気で留守がいい」などと本音をぶっちゃけるわけにもいかないだろう。

___________________
【後記】
「ハンス」は匿名にしましたが、内容は事実。その後、再婚し、奥さんとは幸せに暮らしていることを付け加えておきます。仕事の方も彼のアイディアをいかして、うまく行っているようです。(^^)




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2018-05-12 07:14 : 【エッセイ/二つの国の狭間で】 :

(上)とうとう私は、耐え忍んで夫の帰りを待つ「喋々夫人」にされてしまった(^^;

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(2016年10月16日Golzernにて撮影)
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ハンスから離婚の知らせが届いた。
にわかには信じられない。
仲間うちでは、どこに行くにも一緒の「オシドリ夫婦」で通っていたからだ。


話は8年ほど前に遡る。

ある晩秋の週末、ぶどう園を営む知人の呼びかけで、一風変わった食事会が開催された。
参加したのは男性だけ。つまり、ツガイではなく夫の方にだけ招待状が届いたのだ。

夫婦のうち片方だけが土曜日に集まって食事会を開くというのは、こちらではあまり聞かない。
けれど日本人の私には、なんの違和感もなくスンナリ受け入れられた。

その日彼らは秋の収穫物を素材に前菜からデザートに至るまで、すべて手作りで決めたというのだから恐れ入る。
さらには我々「山のカミ(さん)」まで俎上に載せて、思いっきりこねくりまわしてくれたらしい。

ワイン飲み放題で気炎をあげる仲間たちを前にして、一席ぶったのがハンスだ。お題は 「妻の手綱の引き方」。
まっ、いいか。彼らだって息抜きは必要だろう。

これに味をしめてか、男たちは次の年にも顔を合わせようと約束したらしい。
いいことだ。こちらも秋の週末の一日を心置きなく読書三昧で過ごせるのだし、こんな罪のない憂さ晴らしの集いなら鼻歌モードで送り出してやりたい。

ところがである。後日、何人かの「山のカミ(さん)」から物言いがついたのだ。
家族団欒で過ごす土曜日に、夫たちだけで飲み食いを楽しむとは何ごとぞ!というわけである。

で、2回目の食事会はあっけなく、おじゃんになった。

その後は夫も忙しさにかまけて、彼らとはご無沙汰状態になっていた。

そんなときに舞い込んできたのがハンスからの離婚の知らせだったのだ。

(下)に続く 
_______________________________
(長くなるので「上」「下」に分けます。)



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(2018年5月10日 隣り村にて撮影)

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2018-05-11 06:00 : 【エッセイ/二つの国の狭間で】 :

俺、スリだけど、なにか?

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チューリヒの街に出たときに時々立ち寄るカフェがある。
スタッフの一人にスリランカ出身のフレンドリーなお兄ちゃんがいて、彼とはもう顔馴染みだ。
私がテーブルに着くや、すぐにコーヒーをもってきてくれる。

そんなこんなで、ここは私のお気に入りのカフェになっている。

しかし、一つだけ気に入らないことがある。

何度「違うよ」と彼に言っても久しぶりに立ち寄ると、また同じことを訊いてくるのだ。

「きみは中国人だったよね?」

彼の名誉のためにも書いておきたいのだが、彼は頭の切れる人だ。計算も早いし、普段は記憶力もいい。

「違う違う。私は日本人だってば」

そう正すたびに「ソーリー、ソーリー、そうだったね」と彼はどうでもいい顔して詫びるのだった。

ある日のこと。
彼は私を見るなりコーヒーよりも先に、ボールペンとメモ用紙を持ってきて私のテーブルに置いた。

「中国語で私の名前を書いてくれないかなぁ」

このときは私も少しきつめに抗議した。

「あっ、ごめんごめん。そうだったね。じゃあ日本語で書いてくれる?」
ったくう)  
「で、名前は何ていうの?」


「スリ」

私は吹きだしそうになって口を押えた。
それを見逃さなかった彼は、唇をぐにゃっと曲げて「どうして?」と訊いてきた。

意味を知ったら気分を害するだろうなと躊躇しながらも、一方では言ってしまいたい衝動に駆られた。

「日本語の意味だけど‥‥。でも気を悪くしないでね」
そう念をおしておいてから、これこれしかじかなの、と教えてあげた。

その瞬間、彼はアゴを天上の方に突き上げて、豪快に笑い飛ばした。
笑った後は、「へえ~、そうなんだぁ」と妙に感心している。
私は胸を撫で下ろした。


それから1週間ほど経ったある日、また市まで出たのでカフェに立ち寄った。
彼の写真を撮らせてもらいたかったのだ。

「わたし遊びでブログ書いてんだけど、そこにスリの写真を載っけていいかな?」

「いいよ。 デッカイ 写真を載せてね(笑)」

  
            



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それから半年くらいが過ぎて立ち寄ったときには、ふざけて彼のことをイジメてみたくなった。

「今でもまだ日本語で自分の名前が書ける?」

普通なら書けない。6カ月という月日は記憶から抜け落ちるには十分な時間だ。
そう高を括っていたら‥‥。

彼、私の目の前で、こともなげにスラスラと書き上げた。

記憶力がめっちゃ悪い私は、歯ぎしりしながら負け犬になって、心の中で遠吠えするしかなかった。

きっと友達や仲間や知人をつかまえては、繰り返し繰り返し書いてみせたに違いない。

「見て。俺、中国語で自分の名前が書けるんだよ!」なんて自慢しながらさ  


                








            




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             俺、ワンツースリのワンだけど、なにか?   

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2018-05-07 21:52 : 【エッセイ/二つの国の狭間で】 :
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