んっ? おつりが おかしい

 

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  (2017/10/15撮影)




すきま時間を利用してバスで隣り町まで買い物に出掛けた。

バスを降りるや駆け足で広場を突っきり、突っきったところにあるスーパーマーケットに走り込む。15分後に来る下りのバスに乗って帰りたかったからだ。

あれこれそれと夕食に必要な食材限定でスーパーのかごに入れると、脇目もふらずにレジーに突進。

しめた!すいている。

高齢のおばあちゃんが今、支払おうとしているところだった。次は私の番だ。これならバスに充分間に合うだろう。


おばあちゃんは何やらぶつぶつ言いながら、くたびれた布製の大きな小銭入れを目いっぱい開いてかき回している。

よくもこんなに小銭を集めたもんだ。

初めのうちは私も余裕で眺めていたのだが、おばあちゃんはかき回すだけで、いっこうに次の動作に移らない。

少しイラッとしてきた。

レジーのおじさんも見かねたのか、椅子から腰を浮かして小銭入れを覗き込んでいる。

「ほら、ここに5フラン硬貨が2枚あるじゃないですか」

「でもね、5フランは見つけやすいから取っておきたいの」

レジーが空いている今は、小さいコインで払いたいという。

彼は、はいはい、そうしましょと、おばあちゃんのリズムに合わせて、ゆっくり数えながらコインをつまみ出している。

私はわざとらしく腕時計を見る。


「はい、これでいいですよ。財布が軽くなりましたね」

レジーのおじさんがおばあちゃんに、にっこり微笑みかける。

おばあちゃんも、にっこり微笑み返す。

私はイラついてまた時計をみる。

「はい、レシートです」


あ~、やっと私の番になった。

買い物は3点だけだから、バーコードの読み取りもピーピーピーと、ものの数秒でおしまいだ。

合計金額が12フラン30ラッペンと出たので、2フラン30ラッペンの小銭は硬貨で払い、あとは50フラン札を渡した。

(註/ここでは便宜上、10ラッペン=10円 1フラン=百円としておきます。50フランは5千円)


レジーのおじさんも私が急いでいるらしいと感じ取ったのか、おつりはレシートと重ねて素早く渡してくれた。

私はそれを確認もせず財布の中にねじ込み、ちゃちゃっと買い物を紙袋に投げ入れて、また駆け足で広場を突っきった。

ついてるぅ! バスがグッドタイミングでこっちに向かって来るところだった。



うちに帰ると、まず財布からグシャグシャのお札を取り出した。きちんと入れ直したかったのだ。


んっ? おかしい。変だ。

私は確かに50フラン札(5千円札)で支払った筈なのに、どうして50フラン札がここにあるんだ?

あと20フラン札が2枚で、おつりが90フラン(9千円)? 

私が100フラン札で支払ったのならこれで間違いない。けど、私の財布にはお札は50フラン札1枚だけしか入っていなかった筈だ。


私はすぐにキッチンに駆け込んだ。
出かけるときに、50フラン札だけで充分だと思ったので、財布から100フラン札を抜き取り、キッチンの端に置いてうちを飛び出したからだ。

やっぱりなぁ。

キッチンに入るや100フラン札が目に飛び込んできた。



つづく

_________________________

(ここまでは旧ブログとほぼ同じ内容ですが、続きはあのときの私の心理状態を新たに書いてみたいと思いますので、気が向いたときにまた続けることにします。)


 


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 (2017/10/15撮影)


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2018-10-14 07:19 : 【エッセイ/二つの国の狭間で】 :

夫と私の場合*こんなに違う動物の鳴き声 

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(2017/10/15  裏山(ユートリベルク)から燃える夕日を撮影)
******************


夫と私はある日、旅に出た。

我々は乗り換え駅で列車を待っていた。


「いいかい。見てごらん。線路のあそこの箇所に電気が(‥‥これこれで、だから、こうこうで‥‥。結局、よう解からんので、省略)。で、そこのところのレールに隙間が空いているのが見えるかな?」 

「うん、見える」 

「あれは寒暖の伸縮に合うように空けてあるんだけど、あそこを通るときに、ダタン・ダタンって音がするんだよ」

「へ~、知らなかった。レールにそんな隙間があったんだぁ」 

単純な私は大発見でもしたかのような気分になってレールを凝視した。

また急行列車が通り過ぎて行く。

「確かにあそこを通るときに、ガタン・ガタンって音が出てたね」 

「ガタンガタン? 私の耳にはダタン・ダタンって聞こえるけど?」

しかしガタンとダタンでは一字違うだけだから、言われてみればダタン・ダタンにも聞こえるような気がする。


そうこうしているうちに列車がホームに入ってきた。

我々はガラ空きの普通列車に乗り込み、4人掛けの座席の窓側に夫と向かい合って腰を下ろした。

外に目をやると、草原で井戸端会議を開いている(らしい)数羽のカラスが見えた。

透かさず夫に訊いてみる。

「それじゃ、カラスはどう鳴くの?」 

「ラーラーラー」 

「えっ!? 私の耳にはカーカーカーって聞こえるよ」


そうだ!思い出した。

「38年前に日本で初めてセミの鳴き声を聞いたとき、フィーフィーフィーって鳴いてるって言ってたよね?」。 

「そうそう、フィーフィーバードね」

樹の上で鳴いていたので最初は、てっきり鳥だと思ったらしい。

すぐに昆虫の一種だと気付いたようだが、我々の間では今でもセミの呼び方は
フィーフィーバードで通している。

もちろん、夫が生まれ育ったスイスの東北部にも、今我々が暮らしているチューリヒにも(まだ)セミはいない。


「日本じゃ犬がワンワンって鳴くのは知ってるよね? 
あのね、日本のお隣の国、韓国じゃあ犬は『モンモン』って鳴くんだって!
あははは、モンモンだよ」     

笑う私に遠慮したのだろう。夫がモソッと言った。 

「う~ん、私の耳にはワンワンよりも、モンモンの方が犬の実際の鳴き声に近いような気がするけどなぁ」。 

うっ! ほんまかいなぁ。

「私自身の耳には犬は、ヴァオヴァオ、ヴーヴーって聞こえるけどね」 

「えっ!犬が、ヴーヴー? 日本じゃ、それ豚だよ。じゃあ豚はどう鳴くの?」 

「グルンス・グルンスって鳴くよね」 

アハハハ。 

「それじゃあ、馬は?」 

「ビヒー・ビヒーだろうな」 

「びひー・びひー? アハハハ。日本じゃあ、ヒヒーンだよ」 

夫は夫で私のヒヒーンの音がおかしくて、目の周りをクチャクチャにして笑っている。

「じゃあ、ニワトリは?」 

「ギュッギュルギュー」 

私は派手に吹き出した。 

「あれは日本じゃあ、コケコッコーだよ」 というと、今度は彼の方がドドッと笑いころげた。 

「日本のニワトリは、何とも不思議な鳴き方をするんだね。今度日本に行ったら、日本のニワトリの鳴き声をじっくり聞いてみることにするよ」  

そう言うと夫は、ニッと笑って目をバシャッと瞬(しばたた)かせた。


          

          (下の写真は無料日刊紙『20minuten』から拝借)
              
               びひー、びひー ( ´艸`) 
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2018-10-09 05:46 : 【エッセイ/二つの国の狭間で】 :

二つの国の狭間で考える

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   (今日の写真2枚は 2017/10/05 おらが村にて撮影)        



今日は昨日の『裏話』の続きです。『裏話』は こちらです。

オリジナルは長いので、このブログ用に短くしました。

実は前回の『ノラ猫が機内で‥(略)』も不必要な箇所を削って短くしたのです。

そしたら途中で文章が支離滅裂になってしまったようで‥‥。しかも翌日になってようやくそれに気付くという能天気ぶり。(^^;

はい、無事(?)修正しました。

そうならないように今回は充分注意を払って削っていったつもりなんですが、さて、どうかな?

尚、このエッセイを書いた頃は、我が家はチューリヒ市内にある一軒家で暮らしていました。



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            『EUの孤島でお昼寝』

今年も隣家の庭の菩提樹の根もとに、マドレン愛用のデッキチェアがお目見えした。それを見るたびに私は、良きにつけ悪しきにつけ日本を思い出す。


マドレンは40代後半の専業主婦。うちと同じで夫婦二人暮らしだ。

芝生に陽光が降り注ぐ日にはデッキチェアに寝そべって、読書に、飲食に、うたた寝にと、自由奔放な午後を過ごす彼女の姿が、我が家のキッチンからよくみえる。


デッキチェアで昼寝をするマドレンを初めて見たのは、この家に住むようになって2度めの夏だった。

屈託のない彼女の寝顔に見入っていると、日本に住んでいる姉の言葉が浮かんできた。


残業残業で帰りの遅い夫の世話をして床に就くと、いつも午前さま。朝は朝で息子たちや娘のお弁当作りに5時前には起きてキッチンに立つという。

「このところ寝不足が続いていて体がだるいのよ」とこぼしながら、姉はひっきりなしに肩を揉んでいる。

私が呆れて「そんならソファにでも横になってお昼寝すればいいのに。日中は誰もいないんだし」と言うと、会社で頑張ってくれている夫のことを考えると、悪くてお昼寝なんかできないと彼女は眉を寄せるのだ。

何といじらしい。姉の夫は日本の習慣や伝統を背中にしょって生きているような人だから、これを聞いたらきっと喜ぶに違いない。


そう言えば私の夫にも頭の古いところがある。

もっともこの国がEUの大海で孤島を固守していることを考えると、硬い頭は何も夫に限ったことではない。山国の人たちに見られる国民的な気質のようなものだと思う。


姉の愚痴を思い出したその夜、夫がマドレンの昼寝にいい顔をするわけがないと思いながらも、話を持ち出してみた。

「いいことじゃない!」

予想だにしなかった答えを返されて唖然とする私に、彼は事もなげに言う。

「時間の使い方を工夫して、君もマドレンのようにこの美しい季節を自由に楽しむべきだ」 
  
「あなたが額に汗して働いているときに、ビキニ着てデッキチェアで寝るの?」 

ひと呼吸おいてから彼はこう言った。

「よーく考えてみてくれるかい? きみが私にどれだけ同情してくれたとて、デスクの上の書類の山は同じなんだよ」

私はハッとした。

自分の責任範囲を明確にしないと気がすまないこちらの人には、一蓮托生などあまり美談にはならないのだ。

「寝不足の顔で出迎えてもらうより、爽やかな顔で『おかえり』と言ってもらう方がいいに決まっているよ」

なるほど。



そう言えばバブル景気に日本がわいていた頃、日系の銀行で働き始めたスイス人の知人がいた。

ある日、彼は怪訝な顔で私に訊いてきた。

「日本人の同僚は変だよ。部長がまだ居残っているってそれだけの理由で、引き出しをあけたり閉めたり、用もないのに、書類を開いたり閉じたりして会社に残っているんだよね。僕には理解できないよ」

あー、難儀な質問だ。どう説明していいのか言葉がみつからない。

思わず私はわけの分からないことを口走ってしまった。

「その日本人の同僚は部長の女房役みたいなもんなのよ。だから、夫が忙しい時には妻も忙しい振りをして、気持ちの上で協力しているんだと思うわよ」

個人主義の洗礼を受けて育った知人にしてみれば、謎の上に、もう一つ謎をふっかけられたような心地がしたことだろう。頭の中がクエスチョンマークだらけになったに違いない。


世間の目をはばかることなく悠然とデッキチェアでお昼寝をするマドレンを見ながら、私は二つの文化の狭間で、つらつらとそんな思い出に耽るのだった。

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2018-10-05 08:54 : 【エッセイ/二つの国の狭間で】 :

『EUの孤島でお昼寝』の裏話

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(今日の写真は2枚とも去年の冬に裏山から撮影)



昨日に引き続き、今日も20年近く前に書いたエッセイをとりあげてみたい。


1990年代の後半というと、新聞社の電子版にしろ検索サイトにしろ、インターネットの世界もまだまだ黎明期で、今から考えれば長閑な時代だったように思える。

そんな時代背景の中で、あえて日本社会にみられる負のあり方を浮き彫りにしたくて書いたのが、このエッセイだった。


もちろん日本独特の村共同体社会には誰もが助けられてきたわけだけど、でもそれは時間がまだゆっくり流れていた頃の話しだと思う。

時間の流れ方が穏やかだと、我々の中にも余裕が生まれる。余裕のある社会には人情も助け合いの精神も育っていくだろうと思うのだ。

だけど、こんにちのように過当競争地獄の中で息をつく余裕すらない時代になると村共同体社会が負のかたちで顔を出すようになる。

不必要な残業や部下に対するイジメなどは、その典型的な例ではないかと思う。

過度なストレスが溜まってくると、自分より弱い立場にある部下を餌食にでもしないことには精神の均衡が保てなくなるんじゃないだろうか。


日本の社会構造も少しずつ変わって行って欲しい。私はそういう思いに駆られてこのエッセイを書いた。

が、あの時代に「何者でもない」私のような人間が書くのだ。ハッキリ言って怖かった。(^^;)


でも一つだけ救いがあった。気難しい問題をあたり障りなく書くのに好都合な武器、ユーモアが私にはある。

ユーモアを通奏低音にして笑いを誘うように軽く書けば、何とか行けるかも‥‥。

そんなややこしいことをあれこれ考えながら書いたエッセイが『EUの孤島でお昼寝』だったのだ。上手く行ったとは言えないのだが‥‥。(^^;


あ~ぁ、数行で済ませようと思ったのに長くなってしまった。


『EUの孤島でお昼寝』は明日に回します。



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2018-10-04 09:30 : 【エッセイ/二つの国の狭間で】 :

公害にもなり得る? 機内で食べるサキイカ

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        (2013/09/24撮影)


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もう20年も前の話になるが、当時私は日本の大手新聞社の電子版に、月イチでコラムを書かせてもらっていた。

今日の記事はそのうちの一つで、原題は『ノラ猫が機内で淑女に変身』。

ガラ空きの飛行機の中でサキイカを食べたばっかりに、客室乗務員(スイス人)に不愉快な思いをさせてしまった私の実体験がネタになっている。

ブログにもここ何日間かは、私の食問題について書いてきたばかりだ。今日はコラムをこちらのブログに転載しておく好い機会だと思う。


ただし、あのころはサキイカも日本からスイスに持ち込むことが出来たのだが、現在はEUとのシェンゲン協定により魚介類の輸入は禁止されている。念のため。

(けど、よほど厳しい検査官にあたらなければ、個人が食べる鰹節や缶詰くらいだったら‥‥むにゃむにゃ。(^^;)



        


        *****************************************************
           『ノラ猫が機内で淑女に変身』


一時帰国をして再びこちらに戻る機内でのこと。 

横の並びにも前にも後ろにも誰もいないエコノミークラスの座席で、大好物のサキイカを食べながら、買ったばかりの本に夢中になっていたときだ。

突如、私の鼻先に大きなビニール袋が突き出てきた。

ぎょっとして振り向いた私に、スイス人の客室乗務員が、いまにも泣き出しそうな形相で訴えてきた。

「お願い。それをこの袋に入れていただけません?」

どうやらサキイカのにおいがガランとした客室を通り抜けて、彼女が作業をしている後方にまで流れていったらしい。

「もう一つお願いがあるの。その強烈な臭いに具合が悪くなりそうなので、このビニール袋の中で食べてもらえないでしょうか?」

「えっ?! この袋の中に顔を突っ込んで?」

彼女は申し訳なさそうに頷いた。

なるほど、袋がやけに大きいと思ったら、そういうことだったのか。

ふと、ゴミ袋に頭を突っ込んで餌をあさる、ノラ猫の姿がちらついた。


だが彼女の気持ちも分からないわけではない。サキイカ嫌悪症は私のスイス人の夫にもあるからだ。

私がサキイカを小袋からつまみ出すや、彼は鼻をつまんでそっぽを向く。

そのくせ私には腐敗臭としか思えない田舎のチーズのにおいには目を細めるのだ。


昔、18歳までの食体験がその人の嗜好を決めるという話を何かで読んだ記憶がある。

スイスの片田舎で育った夫が初めて海の魚を口にしたのは、十代も終わり頃だったという。

そのときのイワシのにおいにショックを受けて、クセのある海の魚は今でも食べることができない。

一方、私の故郷は海に面した小さな村。魚介類は食べ放題だったが、チーズはおろかバターの味すら知らずに大きくなった。私の原体験は夫とはまったく対照的である。

スルメイカなど、おしゃぶり代わりになめさせられていたくらいだ。


スイスで暮らすことになったとき、まず頭に浮かんだのが肉食。子どもの頃からの食習慣が抜けず、大人になってからも肉など滅多なことでは口にしなかった私には大きな不安材料だった。


ところが意外や意外。息を止めて、せーので口に放りこんでいた乾燥肉の味にも、気がついたらちゃっかり順応していたのである。

それどころか肉の虜になった時期さえあったほどだ。

あのままいけば、スイス人の味覚に近づけたであろうに‥‥。

やはり甘かった。

こちらで暮らして15年ほどが過ぎた頃、嗜好が向きを変えてレトロの道を歩き始めたのだ。インフルエンザに罹って高熱を出したことが引き金になったらしい。

それからというもの、事ある毎に好みが子どもの頃に近づいて行く。

空の長旅でサキイカをしゃぶりたくなるのも、そのあらわれだったのかもしれない。


来年もまた一時帰国の予定だが、機内でスイス人を泣かせるのはもう忍びない。 

かといって、袋をかぶってノラ猫になる勇気もない。 

こうなったら猫をかぶって淑女を決め込むしかないだろう。



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2018-10-03 08:41 : 【エッセイ/二つの国の狭間で】 :

(1)スイスの食生活で狂ってしまった私の体質

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  (2017/10/13 ベルナーオーバーランドにて撮影)

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せっかく春には体重が落ちてくれたのに、今度は夏太りをしてしまった。

それも7月最後の週から休暇に入る前までの僅か1ヶ月ほどの間に、2キロ近くも太ってしまったのだ。

内臓脂肪が問題になっている私には、ちょっとヤバイ増え方である。

そもそも僅かな日数で体重が、高層ビルのエレベーター並みに上がったり下がったりするようになったのは、スイス生活が始まってからである。

食事内容が激変して体質が変わってしまったのが原因であることは疑う余地もない。日本で暮らしていた時には和食一辺倒という偏った食生活をしていたのだ。

別に健康のためとか節約のためとか、そういう大義名分を掲げていたわけではない。幼児の頃からずっと続いてきた食生活のレールの上を、そのまま走っていただけの話である。

一人暮らしのときの朝食の献立はというと、あったかゴハンに何か光り物の焼き魚、作りおきの惣菜(ひじきや切り干しダイコンなどの煮付けとか、ワカメとキューリとタコの酢の物とか、しらす大根おろしとか‥‥ 笑)そしてお味噌汁。

これだけあれば、朝ごはんにはもう何も欲しいと思わなかったのだ。だから一般的な日本人家庭のように、トーストに茹で卵にフルーツサラダという、いわゆる洋風の朝食など食べた記憶がない(笑)。

当時は1食や2食抜かそうが大食いをしようが、殆ど体重に変わりはなかった。変わったとしても、放っておけばまたすぐに元に戻るという体質だったのだ。

それが、スイスで暮らすやいなや‥‥(書かずとも容易に想像していただけると思うので省略します)。


ある日を堺に食生活の内容が、私ほど激しい変わり方をした人間も珍しいのではないだろうか。

いくら親から太りにくい体質を受け継いでいたとはいえ、この激変に体質が着いて行けよう筈もないのだ。悲鳴をあげて狂ってしまうのが落ちである。

3ヶ月が過ぎた頃、まず最初に現れた異常が蕁麻疹。拷問を受けているような痒みに、のたうちまわるような体験をした。

その次に来たのが、それまでの人生で経験したこともないほどの体重の増加。10kg増なんて、それこそあっという間だった。


1年後、初めて一時帰国をしたとき、寄り道もせずにまっすぐ飛び込んだのが、東中野の馴染みの定食屋。

私の姿を見るなり、おばちゃんもおじちゃんも「あっ!」と声をあげたっきり何も言えなくなってしまった。

やっとかけてくれた言葉がこうだ。

「あらまぁ、ふくよかになって別人みたいだねぇ」とおばちゃん。

「スイスはほら、空気がきれいだろ? 何でも美味しく食べられるんじゃねーの?」とおじちゃん。

「やっぱりチーズやバターをたべるのかね?」

で、おじちゃんのトドメの一発。

「それにしても太ると老けるもんだねぇ。感心するよ。○○ちゃん、7歳は老けたんじゃねーの?」


ガ~ン!
_________________________


※これで、おしまいではありません。(^^;
この続きはまたいつか書きます。



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  (2018/09/17撮影)
  

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2018-09-26 06:45 : 【エッセイ/二つの国の狭間で】 :

氷河特急に乗って爆睡した日の記憶

【註】いつもなら「氷河急行」と書くところですが、今回は特別な思いもあって「氷河特急」と表記することにします。

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          『氷河特急に乗って爆睡した日の記憶』

私の脳内電気の流れがまだ完全に日本式であった頃、日本の田舎から姉が訪ねて来てくれた。二人でスイス国内の旅に出ることになったのだが、当時の私はまだスイスという国に疎くて姉のガイド役になれる自信がなかった。

そこで夫が、或る旅行社が売りに出していた「バスと氷河特急で行く3日間のスイス周遊の旅」に申し込んでくれた。姉と私以外のツアー参加者は皆スイス人である。

サン・モリッツの5つ星ホテル(団体旅行の長所の一つは高級ホテルに格安で宿泊できること)に1泊した翌日、我々はこのツアーの目玉である氷河特急に乗ってツェルマットに向かった。7時間あまりにも及ぶ列車の旅である。

日本からの旅の疲れもあったのか、姉はサン・モリッツを出発して1時間もしないうちに、ウトウト居眠りを始めた。

「ちょっとぉ、誰も寝てへんで。せっかく来たのに、もったいない」
無情にも私は姉にイエローカードを掲げてしまったのである。

今でこそ日本からのツアー客も、コーチバスや氷河特急の中で居眠りする人は少なくなってきた。デジカメの普及が、日本人の居眠りシンドロームにストップをかけてくれているのではないかと思う。旅に出るたびに私は、車窓から被写体を追っかけている日本のグループの人たちをよくみかける。

だがスマホやデジカメなど皆無の時代に、ツアーで来て乗り物で移動するときの日本人は、その殆どが座席にもたれて居眠りを貪っていた。かく言う私も例外ではなかったのだ。

姉に忠告しておきながら恥ずかしいことに、私も段々マブタが重くなってきた。周りを見回しても、居眠りしているスイス人など誰もいない。皆、目を輝かせ身を乗り出して移り変わる風景を愉しんでいる。

参ったなぁ、と周囲に気を遣いながらも、日本人に特有な居眠りシンドロームに打ち勝つことが出来ないところまできてしまった。

「ちょっと向こうに行ってくる」
眠そうな姉にただそう言い残して、空席の目立つ一つ後ろの車両に移って行った。そうしないとバツが悪いではないか(苦笑)。

だが、その後のことは何ひとつ覚えていないのだ。もうほとんど爆睡モードだったのではないかと想像する。;;;^^;;;


《ここはどこだ?》
すっかり寝ぼけてしまって目を覚ました瞬間には、自分が何をしているのか、どこにいるのかさえよく分からなかった。

窓を開いてみた。
目眩がするほど気持ちの良い風が流れ込んできた。
風に色をつけるなら、まさに緑。緑色の風だ。

列車は深い森の中に停車していた(と、脳の記憶帳にはそう書かれてある)。
車掌がズボンのポケットに手を突っ込んで屋根のないホームに突っ立っていた。

やっと目が覚めて、少しずつ状況が掴めるようになってきた。
我々を乗せた氷河特急は、オーバーアルプ峠で対向列車待ちをしていたのだ。

恥を忍んで言わせてもらうと、またそこからの記憶が見事なほどプッツリと切れている。

姉のいる車両に戻って行ったはずなのだが、覚えていない。終点のツェルマットに到着した後のことはよく覚えているにもかかわらず‥‥。オーバーアルプ峠を出発するや、また眠ってしまったのだろうか?

人の記憶というものは本当にあてにならない。
目に映った情報は脳の中で断片になって一旦、忘却の中に沈み込む。そこから改めて芽を出す記憶というものは、実際とはかけ離れていることが多いらしい。

オーバーアルプ峠駅は2000m余りの高所にある。目覚めた瞬間に私が見たらしい深い森など存在するわけがないのだ(笑)。

多分、極楽から送られてきたエメラルドグリーンの風が、深い森にすり変えて私に記憶させたに違いない。

それにしても、7時間もの氷河特急の旅の中で、ハッキリ記憶に残っているのがオーバーアルプ峠の駅の名前だけとはあまりにも寂し過ぎる。(^^;;; 

一人旅に魅せられるようになってからは、毎年のようにここにやってきて、その貧弱な記憶から温かい芽がでるようにと、一所懸命育てている。(^_-)-☆

最後に一つだけ書いておきたいことが。
このオーバーアルプ峠は、峠越えなどのツーリングをする人にとっては休憩地として有名な場所だが、しかし、風光明媚な名所の多いスイスからすると、とりたてて人にお勧めするほどの眺めはここにはない。

この峠を拠点にするならライン川の源流Toma湖を訪ねるハイキングというメニューもあるが、長くなるので今日はそれには触れない。

***************
【後記】サッカーを連チャンで観たせいか、脳みそがかなりふやけてしまった。
ふやけた後に今日の記事を書き始めたので、乱文や珍文、奇文が多々あると思う。
ご容赦ください。


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(今日アップした写真は2018年6月20日に撮影)


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2018-06-25 09:38 : 【エッセイ/二つの国の狭間で】 :

病的に気の弱い猫との 掛けがえのない暮らしの記録 

(アイマスクをしてタヌキ寝入りを決め込む、よそんちの猫↓ 隣り村にて撮影)

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今日の記事は、昔ペット族に人気のあった『犬ばか・猫ばか・ペットばか』(「週刊朝日」)に掲載された私のエッセイに、手を加えてリニューアルしたものです。


     


          ***********************************************

             『わが家の猫は名セラピスト』

たまらなく猫と暮らしたくなった。
だが、ノラのいないこの辺りでは仔猫を見つけるのも簡単ではない。

さーて、どうするかな?

思案しているところへ、まだ里親の決まらない5カ月のシャム猫がいるという情報が飛び込んできた。

「血統書つきですが、かわいがってもらえれば、ただで差し上げます」

こんなうまい話はない。私は即座に飛びついた。

「でも、風邪を引いてしまって‥‥」とのことで、うちに来るのは少し先になりそうだ。

それでも私はウキウキしながら、猫を迎える部屋の準備を愉しんだ。

ベッドにハウスに遊び台。それから縄をかけた爪とぎポール。みんな夫の手作りだ。


ついにその日がやって来た。

やっとスイスでも猫との愉しい暮らしが始まるぞ!
‥‥と思いきや、とんでもない。「忍耐」の上に「忍耐」を積み上げていくような日々の始まりだったのである。

異常なほど臆病なのだ。

猫の部屋のドアにほんの少し触れただけで、あっという間に家具と床の隙間にもぐり込んで出てこない。
覗くと怯えた目をして震えている。

「だーいじょうぶ大丈夫」と言い聞かせながら、隙間に腕を突っ込んで撫でてやること三日間。

少しは信頼してもらえたかな? 

四日目には引っ張り出して膝の上に乗せてみた。
とたんに腰を抜かしてフニャフニャになってしまった。


「この哀れな猫に幸いあれ」
そんな願いをこめて「幸」と名付け、サッちゃんと呼ぶことにした。
そして私はこの猫のセラピストになる覚悟をきめたのだった。

どうやらサッちゃんの目には、人間が獰猛な怪獣に見えるらしい。
だから撫でてやるにしても、咄嗟に腕を突き出すのは禁物。腰を落としてできるだけ低い位置から甘い声をかけながら、スローモーションで腕を伸ばすのがポイント。

とは言え、どうしても強引な態度に出なければいけないときがある。
その一つが年に一度の予防注射だ。

天地がひっくり返るほどの恐怖に襲われるサッちゃんは、キャリーボックスの奥で逆立ちして「終末のポーズ」で構える。つまり、頭を左角の床面に、後ろ足は右角の天井面にペタッと貼り付けるのだ。

だがそれも、診察台に上げられ先生とナースに包囲されるやいなや、「もはや、これまで」と観念するのか、腰を抜かしてフニャフニャになる。


腰を抜かすと言えば、サッちゃんが1歳の頃、こんな騒動があった。

夫に腹をたててギャーギャーわめき散らす私に、彼は人差し指を自分の唇に置いて、顎と目線で私の後方をさし示した。

振り向くと、私のデカい声に仰天したのか腰を抜かしてしまったサッちゃんが、焦点の合わなくなった目を宙に浮かせてシャーシャーおもらしをしている最中だった。

その日を境に、わが家からは私のわめき声が消えた。
懲りてしまった私は、ナイショ話でもするようにヒソヒソと夫に文句を言うようになったのである。


そんな私の努力が実ったのか、少なくとも我々夫婦の前ではサッちゃんも腰を抜かすようなことはなくなった。

それどころか、こわ色をつかって甘えてきたり、すねてみせたり、おねだりしたりと、見違えるほど豊かな表情をみせてくれるようになった。

ある日、私はヒソヒソ声で夫に言ってやった。

「ねっねっ、どんなもん!? 私のセラピーも、まんざら捨てたもんじゃないでしょ? エヘッ」

夫はそんな私を無視して、膝の上でウトウトしているサッちゃんに、そっとささやきかけた。

「サッちゃん、君こそ名セラピストだよ。えらいえらい。
おばちゃんの頑固なヒステリー、治しちゃったんだもんねぇ」

んっ?

まごつく私に、夫はウインクを送ってきた。

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2018-05-17 06:40 : 【エッセイ/二つの国の狭間で】 :

スリの手口は今も昔も同じ? in ロンドン

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(2018年5月1日私の村にて撮影)

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金曜日の朝、買い物に行く途中のバスの中で顔見知りのスイス人と一緒になった。
彼女は友人が住んでいるロンドンで休暇を過ごしてきたばかりだという。どうやらそのときにスリに遭ったらしい。

一人の若い男が地図をみせて場所を尋ねてきたというので、私は思わず口を挟んでしまった。

「えっ、今でも同じ手口で?」

1981年という遠い昔の話しになるが、実は私もロンドンでスリにやられた経験があるのだ。

あれは英王室の挙式日(チャールズ皇太子とスペンサー伯の3女、今は亡きダイアナ嬢の結婚式)の数日前のことだった。私はスーツケースを引っ張って、一人で地下鉄に乗り込んだ。

車内はかなり空いていたのだが、なぜか座るのが面倒くさくて後ろの方で突っ立っていた。
「私、カモなの」と言わんばかりにボケッとした顔をしていたに違いない。

次の駅で乗り込んで来た一人の若い黒人男性が速足で私に近づいてきて地図を広げた。

「教えてください! ピッカデッリィ(ピカデリー)はどこですか?」 と訊いてきたので、「あっ、ピカデリーなら知ってるわよ」と言いながらその地図を覗き込んだ。

な・なに、これ! なんでこんなに複雑なの?! 
心の中で地図に悪態をつきながら、それでも必死の犬かきで目を泳がせた。

こういう場面での時間の記憶というものはあまり当てにならないのだが、地下鉄の扉が開いている時間内でスリ集団が「お仕事」を片付けてしまったのだから、1分かそこらの間の出来事だったのではないだろうか。

その黒人は扉が閉まる寸前に、ぐしゃっと地図を丸めるやいなや、ヒョウのごとく飛び出して行った。

茫然自失モードで見送る私の目にうつったのは、ホームを飛ぶように駈け抜けて行く4匹の黒ヒョウだった。 

やられたぁ! 

そう思った瞬間、脚に猛烈な震えがきて、次の一歩が踏み出せなくなった。


体の中の内臓物がまた元の位置まで戻るのに、2分か3分くらいはかかっただろうか。
頭にも血が流れ始めたので、少し気を鎮めて考えてみた。

多分、座席に座っていた数人の乗客からは見えないようにするために、仲間の2人が乗客のふりをして私の前にカーテン立ちしていたんじゃないか? 

で、一人が地図を広げる。そしてその隙に、もう一人が私の斜め掛けバッグから財布を抜き出す‥‥。

サイケデリックな地図に全神経を注ぎ込んでいた私は、「ホラ、持ってけ!」 とばかりに、斜め掛けバックが背中の方でネギしょい状態になっているのに、まったく気が付かなかったのだ。

だけどシミジミ思ったものだ。
バッグごと持って行かれたわけではないことと、体に危害を加えられずに済んだことは、何よりも不幸中の大きな幸いだったと。

私は気をとりなおして次(いや、その次だったか、或いは次の次だったか)の駅で下車し、駅員室に駆け込んだ。

残念ながらそれがどこの駅だったのか、どうしても思い出せない。
けれど、そこで対応してくれた50代くらいの女性駅員の親切だけは、今でも決して忘れることができない。

私が興奮状態で出来事の一部始終を話し終えると、傍らに立って聞いてくれていた彼女が「Oh、それはないよ。こわかったでしょ?」と言って私を引き寄せ、優しく抱きしめてくれたのだ。

その瞬間、張りつめていた神経が一気に緩んでしまったのだろう。
私は溢れ出る涙を止めることができなかった。


ありがとう、あの時の駅員さん!

あの忌々しい出来事も、彼女のおかげで温かい思い出として心に残っている。





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           (2014年7月3日GR州で撮影)

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2018-05-13 00:15 : 【エッセイ/二つの国の狭間で】 :

(下)とうとう私は、耐え忍んで夫の帰りを待つ「喋々夫人」にされてしまった

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(撮影2016年5月6日 近所の村にて)

今日の記事は昨日の⇒「上」の続きです。)
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ハンスの経営する小さな印刷会社が不況の煽りを食らって、彼は崖っぷちに立たされたらしい。
中世から続いてきた由緒ある看板だ。彼としては、なんとしても残したい。
人員を整理し、その分、彼が早朝から夜遅くまで身を粉にして働き詰めたという。

見かねた妻は、看板に見切りをつけるべきだと言い張った。
だがこのような困難な状況に立たされると、一徹になって働くのがこの国の男たちだ。

ハンスの場合はそれが実を結び、何とか看板を外さずにすむところまで漕ぎ着けた。
ところが、ふと手元を見ると彼自慢の「手綱」がプッツリ切れていた‥‥。 

‥‥と、まっ、夫が仲間から聞いてきた話しをまとめると、こういうことになるらしい。


そんな折りも折り、うちの連れ合いの仕事先でパーティが開催された。
社内では働き蜂として有名な夫は、ほんのり酔いの3人の女性に取り囲まれて質問攻めにあったらしい。

「一度お尋ねしたいと思っていたんです。
よく遅くまで仕事をしていますが、奥さんは何も言わないんですか?」

「私だったら、もう離婚だわ」

「私も」

咄嗟のことで言葉に窮した夫は、こう切り返したという。

「いいかい君たち、私の妻は日本人なんだよ」

その瞬間、3人の目がいっせいに輝き、こう言い放ったらしい。

「これでやっと謎が解けました。奥様は 『蝶々夫人』 だったんですね!」


とうとう私は、旦那さまの帰りをひたすら耐え忍んで待ちわびる、今どきの日本でもほぼ絶滅したであろう化石のような妻にされてしまった。

おじょう様がた、そりゃチト話しが違いますぜ!と啖呵を切りたいところだが、しかし待て! 

今さら彼女たちに「亭主元気で留守がいい」などと本音をぶっちゃけるわけにもいかないだろう。

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【後記】
「ハンス」は匿名にしましたが、内容は事実。その後、再婚し、奥さんとは幸せに暮らしていることを付け加えておきます。仕事の方も彼のアイディアをいかして、うまく行っているようです。(^^)




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2018-05-12 07:14 : 【エッセイ/二つの国の狭間で】 :
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