(2)スイスのスーパーにお目見えした日本食品の第一号

s-20180124_182021.jpg



_______________
※前回(1)の記事(9/26)の要点↓
日本で暮らしていた頃とこちらで暮らすようになってからの食生活の激変によって、体重が暴走し始めたこと。
_______________
          
       『スーパーにお目見えした日本食品の第一号』

1980年代の初め頃だって、作ろうと思えば和食は作れた。
私のスイス初上陸とほぼ時を同じくして、チューリヒ市にも小さいながら日本食料品店がオープンしたからだ。

ただ店の規模は小さくても、値段の方は大きかった(笑)。しょっちゅう私好みの日本食を作っていたら、私の体重は安泰だったかもしれないが、エンゲル係数は確実に地獄の屋根を突き破っていただろう。

当時の我々夫婦も若かったが、それに負けず劣らず夫のサラリーも「若かった」。いやいや、今でも後者の方は「若さ」を保っているのだが。(^^;

今でこそ海魚や介類も、日本のスーパーに入るのとさほど変わらぬ速さでスイスの店にも入荷する。だけど1980年代あたりはそうは行かなかった。

鼻がもげそうになるくらいの強烈な臭いに、魚を買うどころか、売り場の近くを通ることすら私は躊躇ったほどだ。

ましてや海の魚とはほぼ無縁で生きてきた当時のスイス人には、とうてい勤まらない売り場だったに違いない。そこで働いていた外国の店員さには心から同情したものである。


さて、スイス暮らしも4年ほどが過ぎたある日のこと。
ある調味料を探していた私の目の端を、何やら日本語の文字がかすめたような気がした。で、気がした方に首を向けると、何とあの赤い帽子の卓上醤油が置いてあるではないか!

「きみはいつからここにいるんだい?!」 

感動のあまり赤い帽子の前に立ちつくし、「キッコーマン」の文字面を穴があくほど見つめ続けたものである。

これが私が記憶する「スーパーにお目見えした日本食品の第一号」であった。

そっと手に取り原産国を確かめてみたら、フィリピンと書かれてあった。

日本食品第二号は、豆腐。スイスのどこかの工場で製造されたのだと思う。
我々日本人からみると煮ても焼いても食べられそうにない代物ではあったが、小躍りしたくなるほど嬉しかったことを覚えている。

その後しばらくは目新しい動きはなかった。まだまだあの頃のスイスの「時」はゆっくり流れていたのだ。

それがインターネット時代に突入するや、何もかもが一変した。

更に動きが激しくなってきたのは、やはり21世紀に入ってからだった。


今じゃあスーパーには、そこにあるのが当たり前のような自然さで、海藻サラダや糸コンニャクやミリン焼きの米菓まで並んでいる(笑)。

それなのに‥‥。

うまくいかないものだ。日本ではトーストすら滅多に口にしない和食一辺倒だった私が、今ではスイスの食にすっかり慣らされてしまっている。

もちろん今でも一時帰国すると、イの一番に「焼き魚定食」を食べさせてくれるレストランを探して飛び込む。だが、だからと言って、スイスに帰って来てからもその思いを引きずるということはない。

頭のスイッチをパチッと切り替えられるようになってしまったのだ(泣)。スイスにはこんなに和食の食材が溢れているというのに。

日本で暮らしていた時、一度だけ口にして、その不味さに二度と触れることのなかったチーズだが、今ではチーズなしでは生きられない。

そしてこのスイス流の食生活が、生粋のメイドインジャパンの私の体を狂わせ太らせているのだと思う。


「マジで、どないかせんと五臓六腑が脂肪だらけになりまっせ、系さん!」 
               ↓


   s-20180408_174424 (2)

ヨーロッパランキング

2018-09-28 07:49 : 【暮らし/衣食経済】 :
« next  ホーム  prev »

ブログランキング&ブログ村

お知らせ

できるだけ多くの人に教えてあげた方がいいような情報や、間違いを指摘して下さったメールなどは、承諾を得た上でブログに転載させていただくこともあります。コメント欄は必要時以外は閉じていることの方が多くなりますが、あしからず。

カレンダー

10 | 2018/11 | 12
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード

QR

RSSリンクの表示